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  • 執筆者の写真みれんぎじゅく

★親が子育てする時、一番最初に読む一冊


わが子の「自ら学習するくせ」を育てる 親の上手な「促し方」 定価1300円+税


★本のまとめはこちらです! ブクペ 著者まとめ

Are You HAPPY? 1月号に掲載されました!

全国 38都道府県、118の図書館で蔵書されました ※2019年10月4日現在 カーリル [地域の図書館検索サイト]

本が紹介されました!  ◆ダ・ヴィンチニュース 読みたい本がここにある

1人でも多くの子供達が、一つでも多くのご家庭が笑顔になれれば嬉しく思います

育児本、子育て本、教育本は今では

数え切れないほど世に出版されています

私の著書もその中の一冊ですが

その中でも私のお勧めする 1冊をご紹介したいと思います

画像:大村はま記念国語教育の会ホームページ

実は、この先生は私が公立中学生の時の国語科の先生です

当時はまだ子供だったので、どれだけすごい先生の授業を

受けていたのか認識もありませんでしたが

私も大人になり、人を指導する立場になって「凄い先生だったな~」と

常々感じさせられます

当時は必ず図書室にいらっしゃいました

先生がいらっしゃるときは冬でも夏でも図書室のドア全開です

「御用がある方は遠慮なくどうぞ」

そんな感じです

先生はいつもエプロンをして図書室で作業をされていました

最初は家庭科の先生じゃないのに不思議だな~と思ってましたが

理由はすぐに分かりました

図書室なので本の管理や整理、授業に使う新聞の記事を切り出したり、プリントは

全て自分でプリントしていました

当時はコピー機なんて学校になかったので

先生は一枚一枚、ガリ版でコロコロしていたんです

何時も優しくニコニコしていて穏やかな先生

しかし、国語を馬鹿にするような姿勢や態度、授業を妨害するようなおしゃべりは

顔を真っ赤にして怒る、筋が一本入った先生と言うのを覚えています

< 大村はま >プロフィール

横浜市出身

1928年、東京女子大学を卒業後に公立高校教員(地方公務員) 同年から1937年は長野県立諏訪高等女学校(現・長野県諏訪二葉高等学校)を皮切りに国語の教鞭をとる。

1938年から1947年は、東京府立第八高等女学校(現東京都立八潮高等学校)[8]。 1947年から48年は東京都江東区立深川第一中学校[9]。 1949年から51年は東京都目黒区立第八中学校[10]。

1951年から56年まで、東京都中央区立紅葉川中学校[11]、 1956年から60年までは、東京都中央区立文海中学校[12]、

1960年から80年までは、東京都大田区立石川台中学校[13]、 1980年3月31日にひっそりと退職した。52年間、一教師であった[14]。

戦後は東京都内の中学校で教鞭を取り、 新聞・雑誌の記事を基にした授業や生徒各人の実力と課題に応じた オーダーメイド式の教育方針「大村単元学習法」を確立した。

それに参加した生徒は延べ5000人以上といわれている。

1978年には日本教育連合会賞を受賞。 また定年退職後も「大村はま 国語教室の会」を結成し、 日本の国語教育の向上に勤めた。

勲五等瑞宝章を受章。

引用 掲載 Wikipedia

私が公立中学校で最後の年代の生徒でした。

今では個人情報の問題で出来ませんが、

先生が退職される年、先生のご住所を直接ご本人から教えていただいて

退職後も手紙のやり取りを数年間させていただきました。

画像:大村はま記念国語教育の会ホームページ

下記に先生の本の一部を引用します

----- 私はまた、「研究」をしない先生は、「先生」ではないと思います。 まあ、今ではいくらか寛大になりまして、 毎日でなくてもいいかもしれないとも思ったりしますが…。

とにかく、「研究」ということから離れてしまった人というのは、 私は、お年が二十幾つであったとしても、もう年寄りだと思うんです。 つまり、前進しようという気持ちがないわけですから。

それに、研究ということは苦しいことなんです。 ちょっぴり喜びがあって、あとは全部苦しみなんです。 その喜びは、かけがえのない貴重なものですが。

研究ということは、「伸びたい」という気持ちがたくさんあって、 それに燃えないとできないことなんです。 少しでも忙しければ、すぐおるすになってしまいますもの。

なぜ、研究しない先生は「先生」と思わないかと申しますと、 子どもというのは、「身の程知らずに伸びたい人」のことだと思うからです。

いくつであっても、伸びたくて伸びたくて…、学力もなくて、 頭も悪くてという人も伸びたいという精神においてはみな同じだと思うんです。 一歩でも前進したくてたまらないんです。

そして、力をつけたくて、希望に燃えている、その塊が子どもなんです。 勉強するその苦しみと喜びのただ中に生きているのが子どもたちなんです。 研究している先生はその子どもたちと同じ世界にいるのです。

研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず「先生」としては失格だと思います。 子どもと同じ世界にいたければ、精神修養なんかじゃとてもだめで、 自分が研究しつづけていなければなりません。

研究の苦しみと喜びを身をもって知り、味わっている人は、いくつになっても青年であり、 子どもの友であると思います。それを失ってしまったらもうだめです。

いくら年が若くて、子どもをかわいいという目つきで見たり、 かわいいということばをかけてやったり、いっしょに遊んでやったりしたとしても、 そんなことは、たわいもないことだと思うんです。

いっしょに遊んでやれば、子どもと同じ世界におられるなんて考えるのは、 あまりに安易にすぎませんか。そうじゃないんです。

もっともっと大事なことは、研究をしていて、勉強の苦しみと喜びとをひしひしと、 日に日に感じていること、そして、伸びたい希望が胸にあふれていることです。 私は、これこそ教師の資格だと思うんです。

-----

引用 掲載:教えるということ 大村はま 共文社(P20~22)

人の受け止め方でいろんな意見があると思います

この本は教員(学校の先生)も 1度読んだことがある先生も多いと思います

但し、今の50歳未満の先生は大村はま先生を知らない世代なので

存在自体をご存知ではないかもしれません

令和は今まで教員が読んでいたこの本を

親御さんが読むことでお子さんの育て方について参考になると思います

これからは先生が読むのではなく、ご家庭の親御さんこそが読む一冊だと強く感じます

昔に書かれているはずなのに、これからの時代に

凄くマッチしたことが書かれているので

秋の夜長の一冊に加えてみてはいかがでしょうか

漢検や算検は合格するために学習しているのではありません

伸びるために学習しています

そして、私も毎日、指導方法を研究しています

-おしまい-

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次回をお楽しみに♪

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